オトトキ (Vibration)
「オトトキ」を観た。THE YELLOW MONKEYというバンドが"再集結"した1年を描くドキュメンタリー映画である。
ドラマチックに生まれてドラマチックに消えたバンドが再び立ち上がった、ということは特に映画の主軸ではなかったし、もっと言えば彼らがロックスターであることも結果論でしかない。4人がどういう人間なのか。たまたま彼らがそれを音楽というものに吐き出しているだけにすぎなかった。
テーマは家族です。舞台挨拶やらコメント収録やらで吉井和哉がそう云うのを公開前に何度か聞いた。血縁に固執しているんだろうか、と少し彼との距離を感じた。血が繋がっているから愛しくなるの?血が繋がっていたら愛しく思わなくちゃいけないの?
映画を観た。テーマは家族だった。
実際に家族について語られる部分もあるが単にそれだけではない。全篇にわたって描かれるのはなにかが失われたときにどう補い合うか。彼らだって歳をとればなにかを失うこともある。それでも4人はステージに立つ。その裏での顔つき。振る舞い。ことば。
家族は替えがきかない。なにか起こってもどうにか埋め合わせて駆け抜けなければいけない。
バンドがこうやって帰ってきたことで、「解散という名の活動です」なんていうのも本当になった。あの4人は替えがきかない。
その業や因縁を吉井和哉は血と呼ぶのかもしれない。血が繋がっているから愛しいのではなく、愛しいときにはすでに血が泣いているのだ。
「君と僕は過去と未来よりも強く強く結ばれて未来永劫に出会い続ける*1」少なくとも照れながら言ったあのとき、きっと「君」はメンバーのことだった。
特に初期のイエローモンキーは内向的だとしばしば評された。あの頃のパフォーマンスは自己へ向かう意識を外側にぶちまけるようだった。最近の彼らは、メンバー同士で見つめ合い、笑い合い、バンドの内側に向かうエネルギーが客席を巻き込んで竜巻のようにのぼってゆく。内向きは内向きでも、その力が向かう方向は他人ではないけれども自分でもない身内、すなわち家族だ。エネルギーの塊となったバンドのバイブレーションに、わたしたちは共振する。
*1:青木景子「遠い天の果てで」からの引用