もろもろ帖

好き勝手

はやりもの回顧

学校で流行ったものや友人に教わった文化を思い出せるだけ思い出してみる。

 

 

 

幼稚園:「においだま」

わたしの周りの子はにおいだまと呼んでいた記憶があるが、おそらく香り玉というのが一般的な呼び名である。幼稚園児には「におい」と「香り」のことばが持つニュアンスがわからなかった。

 

幼稚園:「地上の星

幼稚園において、歌はクラス内で歌っている子が1人いると瞬く間に蔓延する。

 

幼稚園:「大きいトイレ」

園児用の小さいトイレが並ぶ中に1つだけある大人用の個室に複数人で入る。本来の目的で使用した記憶はない。

 

小学校低学年:「たまごっち」

「帰ってきた!たまごっちプラス」や「ケータイたまごっち」の世代である。通信でおやじっちが作れるのは兄弟姉妹がいて複数台持ちの家くらい。

 

小学校低学年:「プニュグリップ」

暇さえあればプニュプニュ。筆箱に入れておくと鉛筆の芯で汚れてすぐに真っ黒になる。左利き用は少し遅れて登場した。

 

小学校低学年:「消帽子」

紅白帽と頭の間にフェイスタオルを挟んで耳の上から垂らす消防士スタイル。物珍しいことはとりあえず一度試してみたい。紅白帽ウルトラマンの知恵がつくのはもう少し後である。

 

小学校低学年:「りんごりんごバナナ 牛乳 牛乳 ごまみそつけて チョコレート」

何らかの替え歌。インターネットによると「草競馬」という歌が原曲らしいが、わたしが知っているこの曲と似ているようであまり似ていない。全国的に伝播する途中でメロディも変わったのかもしれない。「ごまみそつけて」に関しては、日本語ですらリスニングが苦手なわたしが歌詞を聞き取れなかったため友人に尋ねて教えてもらったのだが、こう歌っているように聞こえたことは一度もない。

 

小学校中学年:「カドケシ

当時の(町内の店で手に入った)カラーバリエーションは白・青・ピンクくらいで、白を使っていた子は少なかったような気がする。

 

小学校中学年:「グゥグゥググゥグゥグゥググゥグゥグゥグゥググゥグゥ、コーッ」

一部の女の子も芸人のネタを真似するようになったのはおそらくここが初めてだったと思う。つまり女の子は男の芸人の真似はしなかったし、エド・はるみは初めて学校で流行った女芸人だったのである。

 

小学校中学年:「ツツジ」「クワの実」

糖分補給。クワの実のほうが甘いし大きいしで割がいい。

 

小学校高学年:「テトリス

テトリスDSの通信対戦。男女問わず、固定されたグループや成績の差を超えて最大人数の10人ギリギリまで人員を集めた。ゲーム機がGBAからDSに代替わりしたことでケーブルを使わずに通信することが可能となり、ゲーム機が友達と遊ぶ道具に変わった。

 

小学校高学年:「MAD動画」

ほとんどはおそらくニコ動からYouTubeに転載されたものだった。テレビだけでなくインターネットからもネタを仕入れるようになった転換点。

 

中学校:「AKB」「AAA」「EXILE

声の大きい勢力が好きになったものは学年全体が好きになったものとして扱われる。そして卒業式の合唱曲に採用されたりする。

 

中学校:「ハーフパンツ」

声の大きい勢力に対する反抗意識とそれを共通点に繋がっている仲間意識のせいか、スカートを一度も短くしたことがない。そしてスカートの中には指定ジャージのハーフパンツを履くが裾からはみ出ることはない、というダメ押し。今思えばどれもこれもただの意地である。

 

高校:「LINE」

高校に入学したわたしたちはガラケーが現役だった最後の学年であったし、その頃はガラケーという言葉がまだ生まれていなかった。中学校から携帯電話を持っていた子はガラケー、高校入学時に携帯電話を手にした子はスマホ。先輩はガラケーが多数派で、後輩にガラケーの子は少なかった。1年生の頃にはクラス内の半分ほどだったのが、2年生では8割がクラスのLINEグループに参加するようになったことからもスマホの普及を感じた。3年生になるとメール派の子や機種変更せずにガラケーを使い続けている子はほんの2、3人になった。

 

高校「写真袋」

写真はLINEで共有できても、動画はそうはいかなかった。そこで写真袋。それなりの画質で大人数に動画が送れた。日常では写真を、行事では動画を撮ることが多かった。

 

高校「鯛焼き」

財布を持って登校する、つまり買い食いができるようになったのは高校生になってからである。時期によってスイーツ系からおかず系まで幅広い味の鯛焼きを売ってくれるお店が寄り道できる場所にありまして。夏はひんやり、冬ほかほか。うまい、安い、幸せ。

 

 

 

 

 

幼い頃は出会ったものすべてを好きになった。なにもかもがおもしろく感じられたのかもしれないし、好きだとか嫌いだとかいう判断がまだ発達していなかったのかもしれない。

その頃は情報源も限られていた。わたしは小学校中学年くらいまでテレビをほとんど見なかったので、それまでの情報源はもっぱら友人。それがテレビ、そしてインターネットへ。学校という小さな社会からどんどん大きな社会に視界が広がっていって、それをひとりで見つめるようになる。

成長するにつれて学年をまるごと巻き込むような大きな流行は起きなくなってくる。好みが多様化していったということであろう。似たようなものを好きな人たちがまとまり始める。自分しか知らない好きなものを抱えたりもする。

中学生になる頃にはもう流行なんてほとんどない。あるとすれば内輪のルールだ。学年は塊でなく層になる。

中学時代の素行によってだいたい同じ層のひとたちが同じ高校に振り分けられると、また流行のようなものが生まれるようになる。ただ、その尺度は好きとか嫌いではなくなって便利かどうかで決まるようになってくる。

高校生も過ぎると、まああとは一進一退というかんじで今に至る。

 

つい最近ハタチになって、もうこどもだなんて名乗るのは厳しくなってきたのが多少はなごりおしいけれど、こうして振り返ってみるとこどもにもいろいろあったんですねえなんて他人事に思ってしまうので、もうこどもじゃなくなったんだろうなと思う。