もろもろ帖

好き勝手

オーディオが鳴った日

オーディオ機器を譲り受けた。わたしにはオーディオがわからぬ。しかし好きな音楽を良い音で聴いてみたいという欲はあって、ヘッドホンを変えたら良くなるかしら?いやそれよりもiPodをやめたら良いのかしら?とインターネット上を徘徊したのが半年前。オーディオがプレーヤー・アンプ・スピーカーから成るということを把握したのもそのときである。知識はまったくペーペーだが、凝りはじめたら止まらなくなりそうであるということはわかった。しかしわたしは稼ぎが少ない。結局何を買うわけでもなく時は流れた。

そんな中、つい先日幸運にもかなり立派なオーディオのおさがりをいただいてしまった。会ったこともない方から。
わたしにはオーディオに明るい知人がいない。あまりに初心者すぎて専門店に行く勇気も出ない。インターネットだけが頼みの綱である。機械の型番を検索窓に打ち込む。いただいたモノがツイーター・ウーハー(高音と低音で分かれたスピーカー)、それらをセットしたスピーカーボックス(手作り)、プリメインアンプ(重量19キロ)、アンプとスピーカーをつなぐケーブル(こういうのがありがたすぎる)、AVレシーバー(たぶんすぐには使わない)であることが判明した。あとは再生機器があればよい。あればよい…………のだが、どうしたものか。
ほんの数日前までわたしの部屋にはレコードプレーヤーがあった。10年前の初売りで母が買ってきた激安コンポである。中学生にもわかるほど音がしょぼいながらも我が家で唯一レコードが聴けるアイツを大切にしてきたつもりだったのだが、ちょうどオーディオが我が家に来る直前にアームの先がポッキリ逝ってしまった。
CDはラジカセで聴いていた。わりと臨場感のある音がするものの、20年選手の彼も逝き(イカれ)つつあった。ボタンを押したときどんな機能が使えるかは完全にランダムだし、最近はしょっちゅう音が飛ぶ。スピーカーが片側だけついたり消えたりもする。なによりアンプに繋ぐためのケーブルが使えないので、彼にはゆっくり老後を過ごしてもらうことにする。
そういうわけで新規購入である。持ち前の行動力(と財力)の無さで、オーディオには埃がうすく積もりはじめた。

春の嵐が吹き荒れるある日、猛烈にある音楽が頭から離れなくなって、それをこのでかい機械を使って聴いてみたいという衝動にかられた。わたしは思い出してしまったのだ。CDはDVDプレーヤーでも再生できるということを。
ウェルカムバックわたしの行動力。録画機器をいっしょうけんめいオーディオの近くに引きよせて、テレビから引っこ抜いたケーブルの赤白黄色の端子をアンプに差し込む。役者は揃った……!
ここで初めてアンプの正面のかずかずのツマミをまじまじと見た。電源を入れて、インプットをCDに合わせて、スピーカーをスイッチしたら音が鳴る。トーンはひとまずいじらない。音量は……一番大きなダイヤルに目星をつけて、そのそばの英単語がわからなかったのでグーグル先生に訊く。ATTENUATOR: 減衰器……単位はデシベル……これで合っているらしい。爆音だけが怖いのでツマミを端のほうまで回す。
いざ!!!!

 

 

いやはや爆音でテレビショッピングの音声を聞いたのは初めてだった。音が大きすぎると何を言っているんだかわからないということがわかった。減衰器というからには、その値が大きくなればなるほどより強く減衰する(音が小さくなる)のである。あろうことか、わたしはそのことに思い至らなかった……。
テレビとプレーヤーはHDMIケーブルで繋がっていたためテレビの音声がスピーカーまで流れてきた、ということにも後から気が付いた。
さて、今度こそ。

 

今度こそ!音楽が流れた……!

流れはしたものの多少しっくり来なかったのでスピーカーの位置を調整したり少し内側に向けたりしていると、先ほどの爆音事件でうっかりツイーターのレベルをいじってしまい左右非対称になっていたことに気付く。
スピーカーの正面に戻って聴いてみると、お、音が!!空間から聴こえる……!!!!
スピーカーとスピーカーの間には物を置いておらず、後ろには20センチほどあけて壁がある。この真ん中の何もない空間から音が発生しているように感じるのだ!左右のスピーカーから同じ音量で聴こえる音が真ん中にあるのはもちろんのこと、左右の端から聴こえる音もスピーカーボックスの表面から発せられているというよりはその少し奥で鳴っているように聴こえる。スピーカーから音が出ているのではなく、スピーカーを置くことでそこに場が生まれているような、そんな感覚をおぼえる。空間から音が聴こえる、だから何なのか?というと、これは無が爆発して有が生まれるビックバンなのである!!!!たぶん!!!!
自分でもなぜかはわからないが、とにかく空間で音が鳴ることには興奮した。

音が宙に浮かんでいる感覚は、スピーカーの正面にいないとわからない。背筋の伸ばしかたや顔を向ける角度の微妙な違いで、耳に入ってくる音は変わる。もうここから動けない。それだけの拘束能力が、音楽にはあった。もう音楽をBGMになんてできない。人をダメにするクッションを買って、このまま音とクッションに埋もれてダメになってしまいたい。でもダメにならなかったのでわたしはえらい(クッションを持っていないからという説もある)。

60年代から00年代まで、ロックからクラシックまで、かいつまんで聴いてみた。大きな機械で鳴らすことでこれまで潰れていた部分が見える大きさになったような、特に音数の少ない部分や小さい音、曲の最後に消えていく音の、輪郭のぎざぎざだとか質感が高解像度になったような気がした。
モノラルはステレオほど顔の角度に神経質にならなくても違和感が少なく、リラックスできると感じた。
それからリマスター盤と原盤の聴き比べもしてみたが、現時点では音量が違うことくらいしか感じなかった。ただ、今日はまだ入り口に立っただけだったのに、ミックスだとかマスタリングだとか、プレイ以外のかたちでこのCDを作ってくれた人たちのことを今までよりも明らかに意識するようになった。

とにかく、聴こえていなかった(ことに今までは気付いてすらいなかった)ものが聴こえて、見えなかったものが見えた。オーディオ、おそろしい子。