もろもろ帖

好き勝手

ヌードデッサンにまつわるエトセトラ

生まれて初めてヌードデッサンをしたのですが、はっきり言ってものすごく良かった。

部屋に入ると、そこは暖房でモワモワであった。モデルのお姉さんたちはすでに身にまとっているものがガウンだのローブだの布1枚だったりするので暖めておかねばならない。わたしが描かせていただいた方は身体に巻いた大きな布を一箇所結ぶだけで簡易的ドレスにしていて、そういう慣れにプロらしさを感じた。

そんなわけでモデルさんたちもお仕事なので、躊躇なんてものはない。開始の合図で潔くハラリと布を捨ててポーズをとる。だから気まずくならないんだろう。エロいんだけどいやらしくない。いやらしさは恥じらいから生まれるのかもしれない。

エロかった。この エロい ということばは 美しい とほぼ同義である。人体ってすごく綺麗だ。昨日まではヌードモデルといったら額縁の中の裸婦のような人を想像していた。失礼かもしれないけれど、今日のモデルさんはそういう方ではなかった。小柄で、程よくお肉がついていて、思っていたほど若くはなかったし。ただ、それがとにかく美しかったのだ。人間本来の美しさというか……自然が定めたままの姿というか……しかも、キュッと結んだように完成されたポーズを何パターンも提示してくれる。それがまたエロい。能楽の型みたいなものがあるのだろうか。

こんにちエロスっていうことばは性の意味で使われがちだけど、エロスとタナトス、のときは生きることを全てひっくるめた意味じゃなかったっけ。プロなだけあってちっとも動かないモデルさんのお腹だけが呼吸に合わせてかすかに動いていて、それが今日いちばんエロいと思ったところだった。

ひたすら描いて、描いて、描くこと6時間(くらい)。最終的には怒涛の1分1ポーズ10連発なんかもやった。ランナーズハイとおそらく同じメカニズムのすがすがしさ。少しは巧くなったといいな。終わりぎわに先生が「今日デッサンしている間、この部屋の中にはいろいろな人がいたのに誰ひとり悲しんだり怒ったり泣いたりギクシャクしなかったでしょ。」と言った。何かを思い知った。

カレンダーのように大きな今日の作品を苦労しながら持ち帰ってきた。おそらくわたしがあのお姉さんに会うことは二度とないだろうけれど、お姉さんはあきらかに紙の中に「いる」。黒鉛の粉末でできたお姉さんが紙の上に息づいている。ただ紙はバカでかいし、ヌードデッサンをやってきたなんてとうとう家族には言えなかったので、今ものすごく紙上のお姉さんの置き場所に困っている。